「いつか誰かが見つかる」と言われる理由は?恋愛における周囲の励ましと当事者の心理

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「いい人なんだから、すぐ見つかるよ」

これ、もう何百回言われてきただろう。家族からも、友達からも。悪気がないのは分かってる。むしろ、私のことを思ってくれてるからこその言葉だってことも。うん、頭では理解してるんだよね。

でも、じゃあなんで私、もうかれこれ3年近く、まともな恋愛してないんだろう?って、心の中のちっちゃい自分がツッコミを入れるわけ。周りを見渡せば、友達は結婚したり、家を買ったり、子供が生まれたり…ライフステージがどんどん進んでいく。もちろん、キャリアに全振りしてる子も、海外でのびのびやってる子もいる。みんなそれぞれの道を生きてて、それはすごく素敵だと思う。

正直、結婚とか子供とか、そういう「型」にそこまで興味はない。でもね、一つだけ、めちゃくちゃ欲しいものがある。それは、心から信頼できる「パートナー」っていう存在。

それなのに、なんで?なんでみんなは「私なら大丈夫」って、そんなに確信を持てるんだろう。

TL;DR:原因は「自分自身の心のブレーキ」と「そもそも今の恋愛市場がハードモード」っていう、まあ、両方だよねって話。

そう、結局のところ、問題は一つじゃない。ぐちゃぐちゃに絡まった糸みたいになってる。それを一つずつ、ちょっと整理してみようかなって。これは誰のためでもなく、自分のための思考整理みたいなものだから、まあ、気軽に読んでもらえると嬉しい。

まず「問題は私?」って話。…うん、正直、大いにある。

最近、カウンセリングにも通い始めて、そこでハッとしたことがあるんだけど。私、根本的に「相手に迷惑をかけること」を極度に恐れてるんだよね。

これ、恋愛だとどうなるかっていうと、「自分がアプローチすることで、相手に不快な思いをさせてしまうんじゃないか」っていう恐怖に直結する。いいな、って思う人がいても、その瞬間に「でも、向こうは私のことなんて興味ないだろうな」「私が好意を見せたら、むしろ負担に思うかも」って、思考が自動的にネガティブな方へ舵を切っちゃう。

マッチングアプリとか使っててもさ、右にスワイプしてマッチングが成立したところで、全然安心できないの。え、なんでって?だって…写真と実物が違ったらどうしよう、とか。会ってみてがっかりされたらどうしよう、とか。その「がっかりされる」っていう可能性を想像しただけで、もう心がズーンって重くなって、一歩も動けなくなる。

カフェで一人、考え事をする女性
カフェで一人、考え事をする女性

ここで一番おかしなことに気づいた?

私、「相手が私をどう思うか」ばっかり気にしてて、「自分が相手を本当に好きかどうか」っていう、一番大事な視点が、完全に抜け落ちちゃってるんだよね。相手がガッカリするかどうかじゃなくて、私がガッカリする可能性だって、普通にあるのに。

この「迷惑かけたくない」っていう気持ちが、いつの間にか「どうせ私の好意なんて迷惑がられるに決まってる」っていう歪んだ確信に変わってしまった。皮肉なことに、相手から興味を持たれてないと(勝手に)確信してる時が、一番リラックスして話せるんだよね。だから、私の周りの男性は全員、自動的に「友達候補」のフォルダに振り分けられちゃう。そりゃ、恋愛に発展するわけないよな…って。

恋愛って、どこかで「えいやっ!」ていう、ちょっとした勇気とか、根拠のない自信みたいなのが必要じゃない?私にはそれが、本当に、1ミリもないんだと思う。

でも、本当に全部私のせい?…いや、それも違う気がする。

一方で、今の時代、恋愛で悩んでるのって私だけじゃないはず。SNSとか見てると、同じようなことで苦しんでる人がたくさんいる。それを考えると、個人の問題だけじゃなくて、もっと大きな「環境」とか「文化」みたいなものも関係してるんじゃないかなって思う。

よく言われるじゃない?「今のデーティングアプリは見た目至上主義だ」とか、「みんなコスパやタイパを重視しすぎて、じっくり関係を育む余裕がない」とか。そういうのって、一個人の努力だけじゃどうにもならない、巨大な波みたいなものだと思う。

ここで、ちょっと面白い比較をしてみたくなった。周りの人たちの「大丈夫だよ」っていう言葉の、その裏にあるものって何だろう?って。

言ってくる人 言ってくれる言葉(建前) その言葉の裏にあるもの(本音/背景)
家族 (特に親世代) 「あなたなら大丈夫!」「縁があればすぐよ」 うーん、心配してくれてるのは分かる。でもちょっと…自分たちの生きてきた時代(お見合いとか職場結婚が普通だった時代)を基準にしてる感じかな。悪気はないんだよね、うん。ある意味、すごくピュア。
友達 (同世代) 「分かるよ、今ってマジで難しいよね」「でも焦らなくていいんじゃない?」 こっちはリアル。みんな婚活とかアプリとか、そういう「戦場」をくぐり抜けてきた(あるいは今も戦ってる)から、言葉に重みがある。「あなたなら大丈夫」って言いつつも、「でも簡単じゃないよね」っていう現実を共有してくれる感じ。
自分自身 (頭の中:「なんとかしなきゃ」と「でも動けない」の無限ループ) もう、頭の中ぐちゃぐちゃ。家族の言う楽観論も、友達の言う現実論も分かる。でも結局、行動できてないのは自分だしなぁ…って自己嫌悪に陥りがち。一番厄介。

そういえば、海外の友達と話してると、この辺の感覚がちょっと違うなって思うことがある。特にアメリカとかだと、もっと気軽に「デート行かない?」って誘ったり、好意を伝えたりする文化がある気がする。もちろん人によるけどね。

でも日本って、「告白」っていう一大イベントがあって、その前に相手の気持ちを探ったり、周りから固めたり…みたいな、独特の重さがあるじゃない?その文化の違いも、行動のハードルを上げてる一因かもしれないな、なんて思ったり。

デーティングアプリの画面をスワイプする指
デーティングアプリの画面をスワイプする指

だから、「私のせいじゃない」部分っていうのは、確かに存在する。自分のルックスとか、年齢とか、そういう変えられない部分で不利に感じることだってある。それは本当に、すごく悔しいし、不公平だと思う。その悔しい気持ちは、ちゃんと自分で認めてあげていいんだよね。「私のせいじゃないもん!」って、ちょっとだけ居直る時間も、前に進むためには必要なのかも。

じゃあ、どうすればいいの?っていう最終結論

ここまで自分の心を整理してきて、見えてきたことが一つある。

それは、「コントロールできないこと」と「コントロールできること」をちゃんと分ける、っていうこと。

相手が私のことをどう思うか。今の恋愛市場がどうなっているか。たまたま出会う相手がどんな人か。…そういうのは、残念ながら私にはコントロールできない。

でも、「どうせ私なんて」っていう自分の心のブレーキに気づくこと。相手に断られるのを怖がる前に、「自分はこの人のこと、本当に知りたいのかな?」って自問自答してみること。小さな一歩を踏み出してみること。それは、私にだってコントロールできるはず。

周りが「大丈夫だよ」って言ってくれるのは、私の外側(スペックとか性格とか)を見てくれてるから。でも、本当に向き合わなきゃいけないのは、私の「内側」にある、この臆病な心なんだろうな。

すぐにパートナーが見つかるかどうかは、正直わからない。相変わらず、それは「if(もしも)」の話。でも、少なくとも、自分を責めすぎて動けなくなるっていうループからは、抜け出せるかもしれない。

うん、まずはそこからだよね。

希望を持って前に進むイメージ
希望を持って前に進むイメージ

…と、ここまで長々と書いてきちゃったけど、読んでくれてありがとう。もしよかったら、みんなの話も聞いてみたいな。

恋愛で一番「壁」になってるのって、自分の心?それとも周りの環境?

よかったらコメントで教えてもらえると、すごく嬉しいです。

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Comments

  1. Guest 2025-07-05 Reply
    うちの子も似たような悩みあるよね。30代って、まだまだこれからだし。焦らなくていいよ。親としては、子供の気持ちに寄り添いたいし、味わってほしいんだ。でも、それぞれの道があるから、自分のペースで進めばいい