最近、ちょっと思ってたんだけど…。なんていうか、AIを判別するツール、あるじゃないですか。あれが、僕らが書いた文章を「これはAIが書いたものだ」って弾いちゃうことが、なんか増えてる気がするんだよね。
別に意味が通じないとか、感情がこもってないとか、そういうわけじゃない。むしろ逆で。…うん、なんて言えばいいかな。長年かけて、自分なりに考えを正確に伝えようとして身につけた書き方、たとえばちょっと複雑な構造の文章とか…そういうのが、逆に「人間らしくない」って言われちゃう。皮肉な話だよね。AIから人間性を守るぞって躍起になってるうちに、僕ら自身が、人間の表現の多様性を否定し始めてるんじゃないか、って。
もしヴァージニア・ウルフが現代にいたら
ちょっと想像してみてほしいんだけど。もし、ヴァージニア・ウルフが『波』みたいな、あの意識の流れをそのまま書いたような文章を、今のネットフォーラムに投稿したらどうなるだろう。彼女の、あの独特のリズムを持った文章って、たぶんAI判定ツールに一瞬で「人間らしくない動きを検知」とか言われて、弾かれちゃうんじゃないかな。
ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』とかも、きっと無理だろうね。あの実験的な言葉遣いとか、構造とか。現代のアルゴリズムの審査を、果たして生き残れるんだろうか。
これって、ただの空想話じゃなくて。僕らとテクノロジーの関係、もっと言えば、僕ら人間同士の関係の、かなり根っこの部分に触れる話だと思うんだ。
昔、高く評価された作家たち。彼らは人間の表現の可能性を広げたわけだけど、もし今デビューしようとしたら、その言葉が誰かに届く前に、アルゴリズムによって黙らされてたかもしれない。そう思うと、なんだか、ね…。
これ、他人事じゃないかもしれない
この問題って、特別な才能を持った作家だけの話じゃないんだよね。もっと身近なところで、どんどん広がってる。例えば、すごく正確な言葉を選ぶ学術的な文章を書く人。彼らの文章は「洗練されすぎている」ってフラグが立つ。
僕の知り合いのエンジニアも、技術的な説明を書いたら、その構造的な書き方が「アルゴリズムっぽい」って判断されて、コンテンツが削除されたって言ってた。うん、マジで。あと、英語が母国語じゃない人が書く英文。その人ならではの言い回しとか、文章のリズムが「統計的にありえない」って判断されちゃう。
その一方で、本当にAIが生成したコンテンツは、僕らの周りに溢れてる。ある調査だと、広告コピーの4割以上がもうAI製だなんて話もあるのに、そういうのは同じシステムを平気で通り抜けちゃう。 authenticな、つまり本物の人間の声が消されてるのに、ね。笑えない冗談みたいだ。
特に、日本語みたいなハイコンテクストな、文脈に依存する言語だと、この問題はもっと深刻になるかもしれない。例えば、川端康成の『雪国』の有名な冒頭。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」…これ、すごく短いし、主語も曖昧。今のAI判定ツールにかけたら、「情報量が少なすぎる」「非定型な構文」とか言われてもおかしくない。こういう文化的な表現の機微を、海外製のツールがどこまで理解できるのか。日本の文部科学省もAIの利用ガイドラインを出してるけど、こういう質的な、文化的なバイアスの問題には、まだあまり触れられていないのが現状だと思う。
じゃあ、何が「人間らしくない」って判断されちゃうんだろう?
この状況、すごく奇妙だから、ちょっと整理してみたんだ。何がAIと間違えられて、何がAIなのにスルーされるのか。
| 人間なのにAIと誤解されがちな文章 | AIなのにスルーされがちな文章 |
|---|---|
| えっと、専門家とかが書く、すごく正確な文章。理路整然としすぎてる、みたいな。 | よくあるブログ記事の構成。導入があって、箇条書きがあって、まとめ。もう見慣れた型。 |
| 特定の分野の専門用語とか、あえて選んだニッチな単語。語彙が「一貫しすぎ」って言われる。 | 無難で、当たり障りのない言葉の組み合わせ。ジェネリックな感じ。 |
| 母語の影響を受けた独特のリズムとか、詩的な表現。統計的に「普通」じゃない文章。 | データに基づいて生成された、最も平均的で予測しやすい文章のリズム。 |
| 本当に新しい視点とか、今まで誰も言わなかったような比喩表現。前例がないから怪しまれる。 | 既存の情報をうまくリミックスして、それっぽく見せる文章。どこかで見たことある感。 |
僕らが失いつつあるもの
こういうことが続くと、何が起きるか。…わかるよね。みんな、無意識のうちにAI判定をクリアできるような、当たり障りのない、均一的な文章を書くようになっていく。
「人間らしさ」を守るって言いながら、その「人間らしさ」の定義をものすごく狭い範囲に押し込めてる。これって、すごく大きな矛盾だと思う。
本当に怖いのは、AIが僕らに取って代わることじゃない。AIを恐れるあまり、僕ら人間が、自分たちの表現の豊かさとか、複雑さとか、そういう「人間らしい面倒くささ」みたいなものを、自ら捨ててしまうことなんじゃないかな。
