初めてジェンダー論を学ぶ人に向けたヘゲモニック・マスキュリニティの実態と誤解の違い解説

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覇権的男性性(hegemonic masculinity)とMan Boxは、1980年代から現在まで研究が積み重ねられてきた「男性性規範」の枠組みであり、未検証の突飛な理論ではない。

挑発的な言い方を避けても、言っている中身はかなり直球だ。社会の中で「本当の男(a real man)」がどう定義され、どんな圧力として働き、誰にどういう負担や害と結びつきやすいのか——そこを曖昧にしたまま「まだ分からない」「結論を急ぐな」と言い続けるのは、少なくとも本稿の立場では、deflection(はぐらかし)であり、場合によってはgaslighting(現実認識を揺さぶる行為)に近い、という話になる。

hegemonic masculinity(覇権的男性性)とは何か:定義と「規範」の扱い

hegemonic masculinity(覇権的男性性)は、社会的に最も支配的で価値づけられ、男性が目標として「目指しうる」男性性の形を指し、assertiveness(自己主張)、aggression(攻撃性)、stoicism(感情を表に出さない姿勢)などで特徴づけられる。

ここで最初に釘を刺しておくべき点がある。覇権的男性性は「全男性がこうである」という断定ではない。原文の重要な限定はこれだ——「No man embodies these norms entirely and completely(誰も完全には体現しない)」。それでも、gold standard(いわば金メダルの基準)として掲げられ続けるから、圧力として作用する。

Science Directの要約は、覇権的男性性がgender relations(ジェンダー関係)の中でnormative standard(規範的基準)として機能し、他の男性性を測る物差しになり、ときに周縁化する、と述べる。要するに「個人の性格診断」ではなく、「関係と序列のルール」の話だ。

この手の議論で、たまに話がねじれる。たとえば「男性一般」と言った瞬間に「全員同じだと決めつけるな」という反発が出る。でも、社会学的ショートハンド(sociological shorthand)としての「men(男性)」は、均一性の主張ではなく、広く観察される社会化の圧力を指す——原文はそこを何度も強調している。くどいくらいに。けど、誤解されやすいから、くどくなる。

概念総覧:覇権的男性性とMan Boxが指すもの
概念総覧:覇権的男性性とMan Boxが指すもの

用語の来歴:R.W. ConnellとPaul Kivel、1980年代の整理

hegemonic masculinity(覇権的男性性)という用語は、1980年代半ば(mid-1980s)にオーストラリアの社会学者R.W. Connellが提起した。

同時期に、Paul Kivelが「Act Like a Man Box」を研究・定義し、のちに短く「Man Box」と呼ばれるようになった、と原文は述べる。Paul KivelはOakland Men's Projectに関わり、1980年代初頭(early 1980's)に高校生男子へ「男であるためのルール」を尋ねる形で概念化した、という位置づけだ。

この「1980年代の話」を古いと片づけたくなる気持ちは分かる。40年経ってる。だけど、その反射で論点を消してしまうのが危ない、というのが本稿の組み立てだ。古いから間違い、ではない。古いのに残っている、が問題として提示されている。

Man Box(Act Like a Man Box)の中身:ルールの具体

Man Box(Act Like a Man Box)は、「本当の男」らしさとして男子に要求されやすいルールの束であり、感情の隠蔽、女性への支配、強さの誇示、非同調者の監視・いじめなどを含む。

原文が挙げるルールは、かなり露骨で、だからこそ「ルールとして言語化されると分かりやすい」タイプのものだ。

  • Hide all emotions(感情を見せない)
  • Treat women as less, have control over women(女性を下に置き、女性をコントロールする)
  • Be tough, never admit self doubt, fear(強くあれ。自己不信や恐れを認めるな)
  • Police and bully other boys who don't conform(従わない男子を取り締まり、いじめる)

こういう箇条書きは、読み手によっては「さすがに極端だ」と感じるかもしれない。ただ、ここでの主張は「全員がこの通りに行動する」ではなく、「こういうメッセージが規範として流通し、圧力として働く」だ。程度の差(to a greater or lesser extent)がある、という限定もセットで維持されている。

そして、重要なのは次だ。規範は、守れない人を生む。守れないこと自体が、また次の行動を生む。そこまで含めて、規範の話になる。

「もう古い」への反証:Equimundo(過去20年)と若年男性の距離感

Equimundoは過去20年(past 20 years)にわたり、男性と男性性(men and masculinities)に関する研究を行い、今日の男性や男児も同種の圧力に大きくさらされていることを示している、と原文は述べる。

ただし、ここも単純な話ではない。原文が引用するEquimundoの調査(米国、英国、メキシコの男性)では、若い男性がMan Boxのルールから「somewhat distance(いくらか距離を取る)」傾向は見られた一方で、「don’t reject…outright(全面的に拒絶するわけではない)」ともされる。

つまり、「昔と同じで全員が完全に従っている」でも、「もう終わった」でもない。中間。そういう曖昧さが、現実の手触りとして残る。

ここで妙に大事なのが、語尾の温度だ。研究の含意を言うとき、断定に寄せすぎると、反発が先に立って議論が止まる。逆に弱めすぎると、何も言っていないのと同じになる。Equimundoの引用は、その間の「残り方」を示している。

APA(2019)ガイドライン:40年の研究レビューと「概して有害」という要旨

American Psychological Association(APA)は2019年、男児と男性への支援に関する新しいガイドラインを公表し、40年(40 years)の研究レビューに基づいて、伝統的男性性が全体として有害(on the whole, harmful)だという研究の主流を要約した。

原文が引くAPAの要旨はこうだ。伝統的男性性(traditional masculinity)は、stoicism(ストイシズム/感情を抑える)、competitiveness(競争性)、dominance(支配)、aggression(攻撃性)で特徴づけられ、総じて有害である。さらに、そのように社会化された男性は、健康的な行動に関わりにくい(less likely to engage in healthy behaviors)傾向がある、とされる。

ここは誤読が起きやすいので整理する。APAが扱っているのは「男性であること(maleness)」ではなく、masculine norms(男性性規範)やmasculine socialization(男性の社会化)だ。原文の後半で強調される区別——「Masculine norms are not maleness」——は、この地点からずっと効いてくる。

なお、原文には「APAは13 years(13年)かけて40年の研究を精査した」との記述がある。この「13年」という期間は、ここでは追加の裏取りをせず、原文の主張としてそのまま保持する(precision_sensitiveの扱いとして、勝手に言い換えない)。

「全員が同じ」ではない:precarious manhood(不安定な男らしさ)の位置づけ

覇権的男性性の議論は、男性を一枚岩にするための道具ではなく、「なぜ繰り返し証明を求められるのか」を説明するための枠組みであり、すべての規範を常時満たせないことがprecarious manhood(不安定な男らしさ)を生み、主に他の男性に対して男らしさの証明行動が促される。

ここ、地味だけど効く。誰も完全に体現できない。だから、証明が終わらない。終わらない証明は、監視(policing)と相性がいい。監視は、いじめ(bullying)とも近い距離にある。……と書くと直線的すぎるけど、原文の論旨はだいたいその線にある。

そして「人口集団について語ることは、均一性の主張ではない」という注意書き。原文は女性の例も出す——「女性は養育的で協調的になるよう条件づけられる」と言うとき、それは全員が同じ経験をしたと言っているわけではないが、広く観察される力学を指す、という話。男性側も同じロジックで語るべきだ、という整理だ。

ちょっと脱線すると、こういう但し書きを毎回入れないといけないのが、そもそも社会的な会話の難しさでもある。で、話は戻る。

EBSCOの位置づけ:階層・交差性・適用領域(教育/犯罪学)

EBSCOの要約では、覇権的男性性は人種、階級、地理、性的指向などの要因に影響されながら男性性の階層を作り、非同調な表現が好まれにくい位置に置かれやすいこと、また男性性の表現は時間とともに変化しうることが述べられている。

さらにEBSCOは、覇権的男性性が教育や犯罪学など複数領域で検討され、男子のいじめ(bullying)や、男性における犯罪活動の多さ(prevalence of criminal activity among men)といった現象を分析する枠組みとして使われてきた、とまとめる。批判が継続している点も含めて「重要なフレームワークとして残っている」とする。

このパートは、原文の「だから主流社会学なんだ」という主張を、少し硬い言葉で裏打ちしている部分だと思っていい。万能理論だと言っているわけではない。使われ続けている、という話だ。

核心メカニズム:規範が圧力として働く道筋
核心メカニズム:規範が圧力として働く道筋

暴力・健康・社会的害:FBIの割合、Equimundoの限定、相関の言い方

原文は、覇権的男性性が暴力を「駆動する(drives)」と述べつつ、引用ではlinked/correlated(結びつく/相関)という語感を含む形で、男性性規範と暴力の関係を説明している。

まず数値。FBIについて、原文は「男性が少なくとも80%(at least 80%)の暴力を、そして約95%(about 95%)の性暴力を加害している」と述べる。ここは注意が必要で、原文自体が「どの暴力カテゴリの集計か」という精密な定義を本文内で展開していない(source_problemsで指摘されている通り)。したがって、こちらも勝手に補わない。原文が示した割合表現(少なくとも/約)を維持し、文脈の不足は不足として扱う。

次に、Equimundoの引用は重要な限定を置く。「生物学が特定の暴力傾向に役割を持つ可能性(may play a role)はあるが、それが唯一の予測因子(not the sole predictor)ではない」。そして、男児や男性は、社会環境や生活条件によって、暴力的であるよう育てられ、社会化され、奨励されることがある、という言い方をしている。

ここで「だから原因は社会だ」と短絡すると、原文の限定を超える。原文がやっているのは、単因論の否定と、社会化プロセスへの焦点化だ。そこまで。

それからAPAの話と接続すると、感情の抑圧や、助けを求めることが弱いとメッセージされることが、男性の心身の健康に否定的な結果をもたらす、という趣旨が置かれている。原文は、女性に対しても「negative outcomes(否定的な結果)」があるとAPAが指摘した、と述べる。

短く言う。効くところに効く。そういう規範は、本人にも周囲にも跳ね返る。

Equimundoが示す「5つのプロセス」:8つの形態の暴力に関わる枠組み

Equimundoの報告は、男性性規範が暴力の経験・加害の可能性に影響する仕組みを、ジェンダー理論の中心概念としてのfive processes(5つのプロセス)で整理し、これらがeight forms of violence(8つの形態の暴力)すべてに関与すると述べる。

原文に沿って、5つをそのまま並べる。

  1. Achieving socially recognized manhood(社会的に承認される男らしさの達成):男性を自認する人は、男らしさを達成し、継続的に「再達成」することを求められがちだ。
  2. Policing masculine performance(男らしさの遂行の取り締まり):男であるという社会的地位は、遂行の監視によって維持される。
  3. "Gendering" the heart(心のジェンダー化):感情的脆弱性を示すことを控えるよう促され、限られた感情だけを示すよう監視されがちだ。
  4. Dividing spaces and cultures by gender(空間と文化のジェンダー分割):空間や「マイクロカルチャー」を男性/女性と分けることで、男らしさ/女らしさの観念が作られ、強化される。男性に結びつけられた場が、暴力のリハーサルや強化の場になることがある。
  5. Reinforcing patriarchal power(家父長制的権力の強化):暴力は、全男性が全女性に対して、また特定の男性が他の男性に対して優位になる権力構造を補強するプロセスと結びつく。

この5つは、道徳説教というより「作動の説明」だ。冷たいくらいの方が、逆に見えるものがある。どこで、誰が、何を失うのか。どうやって再生産されるのか。

NOMASの引用:breadwinner role(稼ぎ手役割)と「意味のなさ」の埋め合わせ

NOMASの引用は、覇権的男性性が経済・労働の配置と結びつくパラドックスを提示し、Daniel Yankelovichの見立てとして「約80%(about 80%)の米国男性労働者が、自分の仕事を本質的に無意味で重荷だと経験している」と述べる。

ここも、読み方を間違えると荒れるので丁寧に置く。これは「統計として確定した数字」として本稿が新たに保証するものではなく、原文がNOMAS経由で紹介するDaniel Yankelovichの提案(suggested)として提示されている、という位置づけのまま保持する。

NOMASが展開するロジックはこうだ。男性の社会的アイデンティティは、一方で女性に対する権力、他方で男性同士の競争における権力で定義される。しかし多くの男性は、自分自身の人生に対する権力は小さい——この矛盾をどう理解するか。

そして「現代社会で男性が受け入れねばならない主要な要求は、経済における役割を果たすことだ」と置く。breadwinner role(稼ぎ手役割)と男性性を結びつけると、仕事そのものが満たさない心理的報酬を「男らしさの感覚」で補える。さらに、仕事の対価を満足感ではなく男性性の感覚で受け取るよう訓練されると、仕事をより意味あるものにせよ、という要求が弱まる。その結果、仕事は利益(profits)を生む設計のまま維持される——という筋立てだ。

失業についても同様で、構造問題として分析する代わりに「男としての失敗」と内面化しやすくなり、profit-based economy(利益基盤の経済)を変える方向が阻害される、とNOMASは述べる。

ここ、急に経済の話に見える。でもテーマは一貫している。「規範が個人の自己評価の通貨になり、制度側の改善要求を鈍らせる」というタイプの話だ。ジェンダーの議論が、ふと労働の議論に接続される瞬間。

Manosphereと国連の警告:UN Womenが示すデジタル上の憎悪と現実被害

Manosphereは覇権的男性性の観念を極端化し、女性を劣った存在・信用できない存在として扱う言説を強める傾向があり、その非人間化が女性への暴力と結びつく(correlated/linked)と本稿は位置づける。

原文は、United Nationsがオンラインの「manosphere」を、misogyny(女性嫌悪)の常態化、anti-feminist disinformation(反フェミニズムの偽情報)の拡散、digital hate(デジタル上の憎悪)と現実世界の暴力の接続という観点から、成長するグローバルな脅威として警告している、と述べる。UN Womenの報告に触れつつ、若い男性や男児が標的になり、極端なデジタルコンテンツがオフラインの害へ転化する、という趣旨を紹介している。

ここも、因果の断定に寄せすぎないのが大事だ。原文は「demonstrably contributes(明確に寄与する)」という強い言い方を含むが、同時に全体としては「結びつき」「相関」の語彙も多用している。したがって、読み手にとっての安全な理解はこうなる:Manosphereの言説環境は女性蔑視や非人間化を正当化・常態化し、そのことが現実の害と接続されうる、という警告がある。

補足図:オンライン言説(Manosphere)と規範の極端化
補足図:オンライン言説(Manosphere)と規範の極端化

「もっと調査が必要」は何を隠すのか:deflectionとgaslightingの主張

覇権的男性性やMan Boxは数十年にわたり研究され、性質や害のパターンが相当程度知られている以上、「まだ情報が足りない」「結論を急ぐな」と繰り返す態度は、既知の知見への対応を避けるdeflection(はぐらかし)であり、場合によってはgaslightingに加担する、というのが原文の批判である。

この批判は、言い方が強い。原文には「pathetic deflection」など攻撃的な形容もある。ただ、ここでは意味を変えずに、説明として置く。つまり「未知の領域を慎重に扱え」という科学的慎重さの話ではなく、「既に研究の蓄積がある領域で、行動や変化の要求から逃げるために“不確実性”を持ち出す」態度への批判だ、という整理になる。

原文はさらに、男性がこうした規範に「気づきにくい」状態自体が社会システムにとって都合がよい、という推測を述べる(「Strangely though」「I suppose」など、印象・推測としての書きぶり)。ここも、事実として断定しない。推測は推測のまま残す。

比喩としての「ピラミッド」も同じ扱いだ。家父長制的権力(patriarchal power)の上部に近い層に利益が集まり、男性が生産や兵士として動員されやすい、という描写は、原文のレトリックであり、ここでは比喩・主張として保持するにとどめる。

結論:男性性規範はmalenessではない/主導は男性が担う、という提言

覇権的男性性(hegemonic masculinity)とMan Boxは、1980年代から現在までの研究蓄積に基づく枠組みであり、規範は全男性の均一性ではなく広範な社会化圧力を指し、健康・暴力・社会的害と結びつきうるとされている。

結論部の要点は、原文を圧縮すると次の通りになる。

  • 規範的ベンチマークとしての「本当の男」は、かなり前から識別され、よく理解されている、という立場。
  • ただし「全員が同じ」ではない。程度の差はあるが、家父長制文化(patriarchal culture)では、ほぼすべての男性が圧力に直面し、多くが少なくとも一部の規範に従う。
  • 伝統的男性性(ストイシズム、競争性、支配、攻撃性)は、APAなどの要旨として「概して有害」であり、男性の健康行動の低下と関連しうる。
  • 男性性規範は、暴力(女性に対しても男性に対しても)と結びつくという論旨が提示され、Equimundoは生物学単因論を否定しつつ社会化過程を重視する。
  • Manosphereのような極端化は、misogynyや非人間化を強め、UN/UN Womenが警告するようにデジタル上の憎悪が現実の害に接続されうる。
  • 「もっと調査が必要」という言い回しが、既知の知見への対応を遅らせるdeflectionになっている、という批判。

最後の提言も、原文の線を保って書く。女性の支援は必要だが、変化を主導すべきは男性である、という立場。そして、男性性規範はmaleness(生物学的男性性)そのものではない、という区別。ここを混同すると、規範批判が「個人攻撃」に聞こえてしまい、抵抗が強まる——原文はそう見ている。

「Stop with the deflections」という命令調は、トーンとしては強い。ただ、主張自体はこう言い換えられる。すでに積み上がっている知見を「まだ分からない」で棚上げし続けるのではなく、害を減らす方向に男性性を規範の狭い型から切り離していくことが必要だ、ということ。

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