コロナ禍で露呈した日本の行政と医療現場の課題
COVID-19のせいで、結局「誰が責任もって何をやってるの?」ってところ、めちゃくちゃ見えちゃったなと思う。行政の準備不足、本当に色んな場面でバレたし、そのツケは現場の医療スタッフとか地域の人に全部きてる感じ。
まず一つ目。飛沫感染が主なウイルス(※1)なのに、防護具(EPI)、マスク、ガウン、シューズカバー、それからゴーグルとかフェイスシールド…この辺りの調達が全然予測できてなくてね。本当に、「なんでこんな基本的なものまで足りないんだよ」みたいな声も多かったし。集中治療室ですら在庫切れ起こしてたりする(※2)。あと既存設備も…海外と比べて明らかに質落ちること、多かった気がする。
次に思ったのが、予防策とか対策マニュアルみたいなの、もう同じ日中でもコロコロ内容変わっちゃうことがザラだった(※3)。それで現場かなり混乱してた。朝言われたことと夕方違うんだけど!?ってなるやつ。
あとは労働衛生管理まわりもカオス。「あ、この人疑いありそう」とか「症状出てます」ってスタッフいた時に検査予約取ろうとすると全然進まないし、検査チーム自体パンク気味で電話出ないしメールボックスはずっと満杯だし。しかも申請条件自体ふわふわしてるから何基準なのかよく分からない。その上で結果来るまでけっこう待たされるし…いや正直やばいと思ったよ。
まず一つ目。飛沫感染が主なウイルス(※1)なのに、防護具(EPI)、マスク、ガウン、シューズカバー、それからゴーグルとかフェイスシールド…この辺りの調達が全然予測できてなくてね。本当に、「なんでこんな基本的なものまで足りないんだよ」みたいな声も多かったし。集中治療室ですら在庫切れ起こしてたりする(※2)。あと既存設備も…海外と比べて明らかに質落ちること、多かった気がする。
次に思ったのが、予防策とか対策マニュアルみたいなの、もう同じ日中でもコロコロ内容変わっちゃうことがザラだった(※3)。それで現場かなり混乱してた。朝言われたことと夕方違うんだけど!?ってなるやつ。
あとは労働衛生管理まわりもカオス。「あ、この人疑いありそう」とか「症状出てます」ってスタッフいた時に検査予約取ろうとすると全然進まないし、検査チーム自体パンク気味で電話出ないしメールボックスはずっと満杯だし。しかも申請条件自体ふわふわしてるから何基準なのかよく分からない。その上で結果来るまでけっこう待たされるし…いや正直やばいと思ったよ。
参照先: https://www.sasmadrid.org/index_php/comunicados/1648-nos-han-dejado-solos-marzo-2020
責任の所在と制度的限界:現場が背負う閉塞感
最近考えてたんだけど、日本の行政とか医療現場のコロナ対応って、もっと深い議論したいなーと思っても、どうしても現実的な壁にぶち当たる感じがずっとある。まずさ、情報の透明性とか決定の流れが…なんていうか、もやっとしてて、「結局誰が責任持って何を基準に判断してるの?」みたいなのが全然見えないこと多すぎ[1][4]。PCR検査だとか防護服集める計画だとかでも、「国」と「地方」とか、「専門家」と「現場」の間でズレてる話はしょっちゅう出るけど、じゃあそのズレをどう埋めてるのかまでは曖昧で…。だからさ、「本当に現場の声をちゃんと反映できてんの?」って本質的なツッコミ自体がぼやけちゃうし、結果として“自分ごと”として議論できてない感じにもなりがち。
あとね、日本だと法律上ほぼ「要請」ベースで対策が動くから[2]、強制力はそんなにないし、補償も十分じゃなくて、それ全部現場が被るしかないって流れ、正直キツイよね。「最後は全部こっち(現場)にしわ寄せくる」みたいな閉塞感とか不信感?こういう土壌はもう根っこの問題だと思う。しかも、その構造変えようとするとまた難しくなる。「自粛要請」みたいなぬるめ規制は一応私権配慮してますよ的だけど、逆に補償渋ったり責任逃れムードになって「あ〜また同じじゃん」みたいな批判もしやすい。そのわりには「じゃあここ変える!」までいく議論には…ならないんだよね。
それから、「マニュアルすぐ変わりすぎ」「検査体制ドタバタ」「労働衛生は?」みたいな現場のお困り事について話そうとしても…市町村単位で事情違いすぎたり、“この施設だけ特別パニック”みたいなのもあったりで、一つにまとめづらい。そのうえ全体像ぼやけてくると、“誰か”への非難集中パターンになりやすいんだよね。要するに“これ普遍的な課題です!”って押し出したい時でも、それを納得させられるかどうかは発信側次第ということ。
ちなみに、日本語圏って空気読む文化というか、おおらかな言い回し優先になるから、“遠回し表現”とか“いい所・悪い所セットで曖昧さキープ”みたいなの使わざるを得なくなる。それこそ海外比較(台湾・韓国など)まで持ち出さないと、「それただの愚痴でしょ?」みたいになったりもしちゃう。本当は事実ベース+提案型で攻めないといけないんだけど、その材料(エビデンスとか国際基準)が手元になかったら厳しい。こういう「どっちつかず」「動けない」状態こそ、一番大きな障壁なんだろうなぁって思う。
あとね、日本だと法律上ほぼ「要請」ベースで対策が動くから[2]、強制力はそんなにないし、補償も十分じゃなくて、それ全部現場が被るしかないって流れ、正直キツイよね。「最後は全部こっち(現場)にしわ寄せくる」みたいな閉塞感とか不信感?こういう土壌はもう根っこの問題だと思う。しかも、その構造変えようとするとまた難しくなる。「自粛要請」みたいなぬるめ規制は一応私権配慮してますよ的だけど、逆に補償渋ったり責任逃れムードになって「あ〜また同じじゃん」みたいな批判もしやすい。そのわりには「じゃあここ変える!」までいく議論には…ならないんだよね。
それから、「マニュアルすぐ変わりすぎ」「検査体制ドタバタ」「労働衛生は?」みたいな現場のお困り事について話そうとしても…市町村単位で事情違いすぎたり、“この施設だけ特別パニック”みたいなのもあったりで、一つにまとめづらい。そのうえ全体像ぼやけてくると、“誰か”への非難集中パターンになりやすいんだよね。要するに“これ普遍的な課題です!”って押し出したい時でも、それを納得させられるかどうかは発信側次第ということ。
ちなみに、日本語圏って空気読む文化というか、おおらかな言い回し優先になるから、“遠回し表現”とか“いい所・悪い所セットで曖昧さキープ”みたいなの使わざるを得なくなる。それこそ海外比較(台湾・韓国など)まで持ち出さないと、「それただの愚痴でしょ?」みたいになったりもしちゃう。本当は事実ベース+提案型で攻めないといけないんだけど、その材料(エビデンスとか国際基準)が手元になかったら厳しい。こういう「どっちつかず」「動けない」状態こそ、一番大きな障壁なんだろうなぁって思う。

