トラック愛好家が熱くなりすぎる理由と日常運転者の視点(郊外での体験から)

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運転が怖くて嫌いで、とくにトラックによるtailgating(車間距離不保持)が怒りと不安を増幅させている。

運転そのものが嫌になってくる感覚って、路上にいるときだけの話じゃない。ハンドルを握る前から、もう気が重い。頭の中でルートを組み替えて、「できれば70mphのspeed limitがある複数車線の高速は避けたい」と考える。その時点で疲れる。しかも、避けたところで用事は消えない。子どもの送迎。高齢の親族の通院。そういう、やめられない運転が残る。

Ultimate Frisbeeのスポーツ活動も、その一つだ。大都市圏に住んでいるのに、なぜか「scrimmage」だの何だので、何時間もかけて移動することになる。近所、せめて5-mile radiusの範囲で一緒にフリスビーを投げる相手は見つからないのか、と考えてしまう。たぶん見つかる。なのに、現実は遠征になる。運転が増える。嫌いが積み重なる。

そして最近、その「嫌い」と「怖い」を決定的に増幅させたのが、長男の運転練習だ。

運転が嫌いになるのは、走行中だけじゃない

運転への恐怖は、ルート計画や予定の段階から始まり、考えるだけで負担が増える。

Mediumで読む記事の傾向が変わってきた、という話がある。若いころなら、もっと別のものを読んでいたかもしれない。今は「運転が怖くなってきた」「道路が怖い」といった話に目が行く。自分でも、ああ、こういう年齢に入ったんだなと思う。

少し前に読んだ、ある記事が印象に残っている。筆者の友人がhypnotherapy(催眠療法)を受けて、運転の恐怖を乗り越えようとした、という内容だった。読んでから、頭の片隅で「自分の町にhypnotherapyをやっている人はいるだろうか」と考えるようになった。すぐに予約する、という話ではない。ただ、そういう選択肢が思い浮かぶくらいには、運転がしんどい。

とはいえ、やめられない。中年で、子どもがいて、移動が必要な用事がある。高齢の親族を病院に連れて行くこともある。生活の構造が、運転を前提にできてしまっている。だから「当面は運転するしかない」という結論になる。

そこに、長男の運転練習が乗る。

drivers' ed programの条件が、現実の緊張を増やす

drivers' ed programでは、one hour-longの教習に対してten hoursの同乗練習を勧めている。

制度としては分かる。実地の時間が必要、という理屈も分かる。でも、その「ten hours」を誰が担うのか、という現実が来る。家庭内で、親が助手席に座ってやることになる。

正直、楽しめると思っていなかった。けれど、それ以上に想定していなかったのは、「毎回、命の危険を感じる」側の感情だった。子どもの命。自分の命。大げさに聞こえるかもしれないが、本人の体感としてはそうなる。

運転していると、人は慣れる。周囲で起きている無茶を、ある程度は見ないふりができる。もちろん目には入る。危ない動きも、変な割り込みも、ほぼ毎回のようにある。でも、慎重な運転手でいるなら、「自分は自分で事故を避ける」ことに集中して、何とか折り合いをつけていける。

ただ、助手席に座って、運転席にいるのが「sixteen yearsかけて心配し、育て、金も時間も注ぎ込んだ子ども」だと、話が変わる。周囲の危険運転を無視しづらい。怒りと恐怖が、前に出てくる。

静かに腹が立つ。いや、静かに、ではないときもある。

事例1:blind hillでの追い越しが、恐怖を具体化させた

blind hillでトラックが至近距離でtailgatingし、その後wrong side of the roadで追い越したことが強い恐怖と怒りにつながった。

ある日、郊外の外れでハイウェイ走行の練習をしようとした。子どもには、車を60 miles per hourまで上げる経験が必要になる。いきなり混んだ道は無理だから、まずはそこへ行くまでの道として、よく知っているカントリーロードを選んだ。

その道は、正直、あまり優しくない。blind hill、見通しの悪い小さな丘がいくつもある。危ない要素はある。でも、道自体はまっすぐだ。周辺には55の制限がある道もある。しかも森に囲まれていないので、「鹿(deer)が飛び出してくる確率が少し低いかもしれない」と期待できる部分がある。期待であって、保証ではない。そこは分かっている。

だから、練習には向くと思った。曲がりくねった郡道よりは、まっすぐなほうが最初はいい。そういう判断。

そこで、子どもに「スピードを上げてみよう」と促していた。道路自体には掲示のspeed limitがないくらい田舎で、ただ周辺の道は55。本人は、これまであまりスピードを出した経験がない。慎重になる。そりゃそうだ。

そのタイミングで、後ろからトラックが来た。しかも近い。tailgating。車間が詰まっている、というより、張り付いている感じ。運転席の子どもは不安になる。生きたいから。まだ終わりたくないから。ここは、冗談じゃなく、そういう心理になる。

助手席としては、「自分の運転をしなさい」と言うしかない。「少しだけ速くしていいけど、あの車に合わせて無理はしなくていい」と。さらに、「blind hillの上りで追い越しはしないだろう」と、そう言って落ち着かせようとした。

言った直後だった。トラックが加速して、こちらを避けるように出て、追い越していった。blind hillの上りで。しかも頂上では完全にwrong side of the road。速度も少なくとも70に見えた、という感覚が残った。70mphの話をしているわけではなく、その場の体感として「70くらい」に見えた、という話だ。

最悪だ、と思った。

もし対向車が来ていたら——この道は「完全に無人の道」ではないので、来ていた可能性は十分にある——双方が致命的なことになっていたかもしれない。もし自転車が来ていたら、その人は助からなかったかもしれない。そういう推論が頭をよぎる。皮肉な話だが、その場合でも、こちらの車だけは助かった可能性がある、という感覚すらあった。だから余計に、意味が分からない。

あそこまで露骨に危ない追い越しを見たのは久しぶりだった。人は意地悪だ、という前提はある。けれど「自分の身は守るだろう」という、最低限の自己保存の期待があった。どうやら、その期待が甘い。

こういう瞬間があると、運転が「嫌い」から「恐い」に寄っていく。しかも戻りづらい。

事例2:rush hourの列でのtailgatingは、結局どこにも行けない

rush hourの渋滞列でトラックがtailgatingしても前方は詰まっており、無理な追い越しは実益が薄い。

別の日。子どもたちを乗せて、近くの町へ向かった。Ultimate Frisbeeのscrimmage。やっぱり、また移動が必要になる。こういう予定が続くと、運転が生活の中心みたいになってくる。気分としては最悪だ。

その日はrush hourだった。帰宅する通勤車両で混む時間帯。だから運転は自分がした。子どもはまだrush hourは早い。

速度はspeed limitを守っていた。いや、実際には流れに合わせて「かなり上」を走っていた。そうしないと危ない、という感覚もある。そういう状況でも、後ろからトラックが張り付いてくる。tailgating。しかも、そのハイウェイはcar/deerの事故があることで知られている、という認識がある中で、15 miles以上出しているように見える。ここも断定ではなく、そう見える、という話だ。

rear-view mirrorを見ると、トラックが左に振って追い越しを狙っているのが分かる。

ただ、前は詰まっている。車列がずっと続いていて、目的地の町まで伸びているように見える。だから「追い越したところで、どこへ行くのか」という疑問が湧く。行き先がない。無理をする意味が薄い。

それでも、車体の大きい車がぴったり後ろに来ると、圧がある。物理的な圧というより、心理的な圧。ブレーキを踏む状況が来たらどうするのか、と考えてしまう。考えた時点で疲れる。短い時間でも。

「Truck Guys」は性別の話ではないが、問題は残る

問題にしているのは性別ではなく、トラックが至近距離でtailgatingし危険行動を取ること自体である。

ここで誤解は避けたい。危ない運転をするのは、セダンでもSUVでもいる。そこは分かっている。だから「トラックだけが悪い」と言いたいわけではない。

ただ、それでも、トラックが背後に張り付いてくるときの嫌さは別格になりやすい。車体が大きい。視界を埋める。ブレーキ距離や重量のイメージが先に立つ。そういう要素が合わさって、恐怖が増える。

そして「Truck Guys」という呼び方自体、性別の話ではない。Truck GuyでもTruck GalでもTruck Whateverでもいい。どうでもいい、そこは。問題は、相手のrear bumperに貼り付くようなtailgatingをすること。こちらがすでに速い状況でも、さらに煽ること。Deer Alleyみたいな場所で、そういう圧をかけること。

やめてほしい、という話になる。単純に。

危険運転への怒りは、「お願い」に近い形でしか着地しない

煽り運転や危険な追い越しは、事故や逮捕・負傷につながり得るため、落ち着いて運転してほしいという呼びかけに行き着く。

「落ち着いてくれ」。結局それしかない。速く走ったところで、到着が劇的に変わる場面ばかりではない。なのに、危険は増える。自分が病院で夜を過ごすことになるかもしれない。警察署に行くことになるかもしれない。あるいは、誰かを病院送りにしてしまうかもしれない。そういう未来は、まったく割に合わない。

ほんの少し、車間を空ける。追い越しの場所を選ぶ。blind hillで無理をしない。渋滞列で意味のない加速をしない。

それだけの話だと思う。多くを求めているわけじゃない。

概念総覧:運転嫌いが増幅する要因(恐怖・生活要件・煽り運転)
概念総覧:運転嫌いが増幅する要因(恐怖・生活要件・煽り運転)
核心メカニズム:tailgatingとblind hill追い越しが危険を跳ね上げる構図
核心メカニズム:tailgatingとblind hill追い越しが危険を跳ね上げる構図
補足:rush hourの車列で「追い越しても前が詰まっている」状況
補足:rush hourの車列で「追い越しても前が詰まっている」状況

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