最近、考えてたんだけど…
最近さ、なんか、AIって言葉、もう聞き飽きたってくらい聞くじゃないですか。でも、多くの人が思ってるAIって、たぶんSF映画に出てくるロボットとか、なんかすごい賢いチャットボットみたいな、そういう「特別なもの」なんじゃないかな。うん、たぶんそう。
でもね、僕が今日話したいのは、そういう派手な話じゃなくて。もっと地味で、でも正直もっとヤバい話。もうすでに、僕らの頭の中に、心の中に、AIが入り込んでるって話。で、僕らが気づかないうちに、僕ら自身をじわじわ変えちゃってるんじゃないの?ってこと。
これ、別に脅かしたいわけじゃないんですよ。ただ、なんか「これ、ちゃんと知っておかないとまずいんじゃない?」って直感的に思うことがあって。だから、今日はちょっとその話を、難しい言葉とか抜きで、思ったままに話してみようかなって。たぶん、最後まで読んだら、自分のスマホとか、いつも見てるアプリとか、下手したら自分の考え方そのものが、ちょっと違って見えるようになると思う。
TL;DR:先說結論
いきなり核心を言うとね、僕らは自分の意思で動画を選んだり、ニュースを読んだりしてるつもりで、実はAIが作った「見えないレール」の上を走らされてるだけかもしれない。それが一番言いたいこと。僕らは選択の自由があると思ってるけど、その選択肢自体が、すでにAIによって巧妙にデザインされてるんだよね。
どうやってAIは僕らの日常に「忍び込む」のか
AIって、「お邪魔します」って言って家に入ってくるわけじゃない。気づいたら、もうソファに座ってて、勝手に冷蔵庫開けて、リモコン握ってる、みたいな感じ。招待してないのに、いつの間にかいるのが当たり前になってる。
例えばさ、Instagram。ちょっと休憩に2、3分だけ見ようと思って開いたのに、気づいたら1時間、いや2時間経ってた、みたいなことない?僕はある、しょっちゅうある。あれって、偶然面白いリールが流れてきたわけじゃないんだよね。
あれはAIが「こいつはこういう動画でスクロールを止める」「この音を聞かせたら注意を引ける」「この顔を2回見る」ってのを、完全に把握してるから。僕らの脳がどういう刺激に弱いか、知り尽くしてる。
YouTubeも全く同じ。一本の動画をクリックしたら、次から次へと関連動画が出てきて、気づけばピラミッドの陰謀論とか、見たこともない深海魚のドキュメンタリーにたどり着いてる。あれは探究心じゃない。AIが僕らの興味の「しっぽ」を掴んで、沼の奥深くまで引きずり込んでるだけ。滞在時間が長ければ長いほど、プラットフォームが儲かる仕組みだからね。
あ、そういえば、広告の話もそうだ。「新しい靴欲しいな」って友達と話してたら、次の日にはSNSが靴の広告だらけになるやつ。よく「スマホに盗聴されてる!」って冗談で言うけど、たぶん、いや、ほとんどの場合は盗聴じゃない。僕らの検索履歴、位置情報、いいねした投稿、友達関係…そういう点と点を、AIが人間の脳よりずっと速く繋ぎ合わせて、「こいつは次に靴を欲しがる確率が90%以上」って予測してるだけなんだ。
要するに、僕らが「自分が選んだ」と思ってることの半分くらいは、実はAIに「選ばされた」結果ってこと。AIはもう、僕らが何を欲しがるか、僕ら自身が気づくより先に知ってる。これが、ちょっとゾッとするところなんだよね。
気づかないうちに、思考の「型」が作られていく
多くの人は、AIの影響なんて、せいぜいNetflixのおすすめとか、Amazonの広告くらいにしか思ってない。でも、問題はもっと根深い。僕らの「心」そのものが賭けの対象になってる。
考えてみてほしいんだけど、僕らが見る一本一本の動画、いいねする投稿、コメント欄で読む口論…それら全部が、僕らの脳を少しずつ、本当に少しずつ形作ってる。岩に滴り落ちる水滴みたいにね。最初は気づかない。でも、ある日ふと、自分の考え方とか、気分とか、世界に対する見方全体が変わっちゃってることに気づく。
これがAIが仕掛ける「静かなマインドゲーム」。僕らの世界観を、気づかれないように歪めていく。自分は冷静に情報を取捨選択してるつもりでも、AIが見せてくれる情報にはすでに偏りがある。自分が好きな意見、心地いい情報ばかりが流れてきて、いつの間にか「エコーチェンバー」っていう、自分の声が反響するだけの狭い部屋に閉じ込められちゃう。
例えば、あなたがちょっと怒りっぽいコンテンツをクリックしたら、AIは「お、こいつは怒りに反応するな」と学習して、もっと怒りを煽るようなコンテンツを見せてくる。寂しさを感じている時に開けば、キラキラしたリア充たちの投稿を見せつけて、もっと孤独感を深めさせようとする。そうやって、僕らは「ありのままの世界」じゃなくて、AIが利益のために編集した「フィルターのかかった世界」を延々と見せられ続けることになる。
「自分で選んだ」と「AIに選ばされた」って、何が違うの?
じゃあ、具体的に何が違うのか。これ、意識してみると結構面白いから、ちょっと表にしてみた。僕も整理してて「うわ、これだ」ってなったんだよね。
| 要素 | 人間主導の選択(理想) | AI主導の選択(現実) |
|---|---|---|
| きっかけ | 自分の内側からの「知りたい」「見たい」っていう好奇心。能動的。 | 通知、おすすめ、自動再生。「次、これどう?」っていう受動的なきっかけ。 |
| 情報の多様性 | 賛成も反対も、いろんな意見を探しに行ける。面倒だけど、視野は広がる。 | AIが「君はこれが好きでしょ?」って差し出すものだけ。気づけば同じ意見ばかり見てる(エコーチェ-…そう、エコーチェンバー)。 |
| 時間の使い方 | 目的が終わったら、自分で「終わり」にする。有限の時間を意識してる。 | 無限スクロールで「終わり」がない。気づいたら時間が溶けてる感覚。マジで時間泥棒。 |
| 感情への影響 | 情報を得て満足したり、考えが深まったり。わりと穏やか。 | 怒り、嫉妬、焦り、承認欲求…なんか、強い感情を揺さぶられて、疲弊しがち。 |
| 最終的なゴール | 自分の知識や楽しみが増えること。自己満足、うん、それでいい。 | プラットフォームの滞在時間が増えること。僕らの注意力が商品になってる。 |
こうやって見ると、全然違うでしょ。左側は僕らが「主人」だけど、右側は完全にAIの「お客さん」、いや、「商品」にされちゃってる。怖いのは、僕らは左側のつもりで、ほとんどの時間を右側で過ごしてるってことなんだよね。
これ、世界と日本では見え方がちょっと違う?
この話って、世界的に見ると「監視資本主義」っていう、もっと大きな文脈で語られることが多い。ハーバード大学のショシャナ・ズボフ教授が提唱した言葉だけど、要するに「人間の行動データを全部吸い上げて、それを予測・販売して莫大な利益を上げる新しい資本主義の形」みたいな話。正直、ちょっと難しいけど、言ってることは今日の話とすごく近い。GAFAみたいな巨大IT企業が、僕らのデータを独占して、僕らの行動をコントロールしようとしてるっていう警告だね。
一方で、日本国内に目を向けると、もうちょっと違う角度からの議論が多い気がする。例えば、日本の総務省とかが出してるAI倫理ガイドラインみたいな文書を見ると、「監視がどう」っていうよりは、「AIの公平性、透明性、安全性をどう確保するか」とか、「AI時代に求められる情報リテラシー教育をどう進めるか」みたいな、すごく現実的な課題に焦点が当たってる。海外が「巨大な敵とどう戦うか」みたいな壮大な物語だとしたら、日本では「目の前にあるこの便利な道具と、どうやって上手く付き合っていくか」っていう、地に足のついた議論が中心な印象。どっちが良いとか悪いとかじゃなくて、この視点の違いは知っておくと面白いかも。
じゃあ、僕らはどうすればいいの?
ここまで散々怖い話をしてきたけど、絶望してスマホを叩き割ってくださいって言いたいわけじゃない。もちろん。 powerlessじゃない、無力じゃないんだよ。じゃあどうやって「反撃」するか。いや、「主導権を取り戻す」か。
1. まず、「今、自分は見せられてるな」って気づくこと
一番大事なのは、これ。Awareness、 cioè, 気づくこと。無限にリール動画を見ちゃってる時に、ふと「あ、これ、俺が見たいんじゃなくて、アルゴリズムが見せてるんだな」って我に返る瞬間を作ること。その一瞬の客観視が、沼から足を抜くための最初のステップになる。
2. 物理的に距離をとる、そして環境をデザインする
意思の力だけで戦おうとするのは、正直、分が悪い。相手は世界中の天才たちが作った、最強の時間泥棒マシンだから。だから、もっと物理的な方法を使う。「通知は全部切る」「寝室にスマホを持ち込まない」「目的もなくSNSアプリを開かないように、わざと深い階層のフォルダにしまう」とかね。自分の環境を、AIにハックされにくいように「デザイン」し直す感覚。
3. ツールとして使い倒す、支配されない
AIを敵視するんじゃなくて、「超優秀だけど、クセの強い部下」みたいに考える。こっちから明確な指示(検索ワードとか)を与えて、仕事(情報収集)をさせる。でも、部下が「部長、こんな面白い話ありまっせ」って余計なゴシップを持ってきたら、「今はいい、黙ってろ」って言える強さを持つこと。利用はするけど、依存はしない。その境界線を自分で引く練習が、すごく大事。
個人の問題じゃ済まない、社会全体が「ハック」される時代
ここまで個人の心の問題として話してきたけど、正直、話はそれだけじゃ終わらない。もっとデカい話になる。AIが個人の考えを形成できるなら、社会全体の考えだって操れるってことだから。
選挙、世論、社会運動、流行、もっと言えば戦争だって。AIは、人々が「何を見るか」「いつ見るか」をコントロールすることで、そのすべてに影響を与える力を持ってる。AI自体に意見はないよ。でも、「怒り」が「事実」よりもクリックされるなら、「怒り」を拡散させる。その結果、社会の分断が加速したとしても、AIは知ったこっちゃない。だって、エンゲージメントが高いんだから。
これ、もうSFの世界じゃない。今、現実に起きてること。特定の思想がアルゴリズムによって増幅されて、数日で巨大なムーブメントになったり。ヘイトスピーチが事実より速く広まったり。僕らのメンタルヘルスが、綺麗な写真に包まれた毒みたいなフィードによって蝕まれたり。
p>これはもう冗談じゃ済まされない。僕らの時代の、最大で、最も静かな影響力を持った存在なんだと思う。
で、結局、誰が主導権を握ってるの?
AIは火みたいなものだって、よく言われる。料理を作ってくれるけど、家を丸ごと燃やすことだってできる。使い方次第なんだ、と。
まさにその通りだと思う。AI自体は悪じゃない。医療を進歩させたり、複雑な 문제를解決したり、僕らの生活を豊かにする可能性に満ち溢れてる。でも、今のところ、特にソーシャルメディアにおけるAIの使われ方は、僕らの家をじわじわ焦がしてるような、そんな危うさを感じる。
だから、この記事で一番伝えたかったのは、オートパイロットで生きるのをやめようぜってこと。AIに、自分が何者であるかを決めさせちゃいけない。AIを使いこなせ。でも、AIに使われるな。
僕らが気づいていようがいまいが、AIはもう僕らの心の中にいる。問題はただ一つ。
今、その操縦桿を握っているのは、本当にあなた自身ですか?
ちょっと考えてみませんか?
あなたが日常で、「うわ、これはAIに時間を盗まれたな…」と一番感じるアプリやサービスは何ですか?そして、なぜそう感じるんだと思いますか?もしよければ、下のコメントで教えてください。
