スペイン内戦の沈黙を破る:家族の128年越しの遺骨返還闘争

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スペイン内戦の記憶を伝える難しさ - 日本人の視点から見たラペーニャ兄弟の物語

えっと、正直ちょっとぼーっとしてるけど、とりあえず書いておく。マヌエル・ラペーニャとアントニオ・ラペーニャ・アルタバスっていう兄弟がいて、出身はサラゴサのヴィジャロヤ・デ・ラ・シエラって町。1936年にフランコ軍に処刑されたんだよね。それで、最初カラタユードに埋められた。でもさ、1959年になって家族に何も言わず勝手にバジェ・デ・ロス・カイドス(今はクエルガムロスって呼ばれてるらしい)へ遺体が移されちゃった。

で、家族がずーっと戦ってきた。特にマヌエルの息子(この人もマヌエルって名前)と、あとアントニオの姪っ子にあたるプリフィカシオン・ラペーニャ。2人とも何十年も裁判とか色々やってさ、2021年9月にお父さん(97歳!)が亡くなるまで諦めなかったんだ。目的は、ちゃんと遺骨を返してもらって、ちゃんと埋葬させてくれ、ってこと。

兄弟がやられた理由は、CNT(全国労働組合連合)の創設者で活動家だったから。裁判とか一切なくて、いきなり処刑されて、そのまま共同墓地行き。

2023年になってようやく128人分の被害者遺骨の発掘作業が始まったんだけど…これはもう家族が諦めず頑張ったおかげだよね。他にも126家族が影響受けたし、本当に大きな出来事だなと思う。

参照先: https://www.sasmadrid.org/index_php/noticias/otros-sectores/11555-la-historia-de-dos-hermanos-anarquistas-asesinados-en-el-origen-de-las-exhumaciones-de-cuelgamuros-14-06-2023

遺骨返還運動と歴史の継承 - 言葉の壁を越えて

えっと、マヌエル・ラペーニャとアントニオ・ラペーニャ・アルタバス兄弟について日本で話そうとすると、なんかまず歴史とか用語の壁がめっちゃ高いんだよね。スペイン内戦とかフランコ時代にあった「記憶回復運動」とか、CNT(全国労働組合連合)みたいな組織も、日本じゃ聞いたことある人ほぼいないと思うし、「これ何?」ってなるよね。だから最初から細かく説明しないと伝わらなくて、ちょっと大変。

それで、「遺骨返還運動」みたいな、家族が長年ずーっと頑張ってきた系の話って、日本では戦後補償問題とか歴史認識とそこまで直結してこないから、興味持つ人も少なくて広がりづらい印象がある。そもそも「何十年も裁判やる家族がいる」っていう事実自体、あんまり日本ではピンと来ないみたいで…。メディアとか学校でもヨーロッパのそういうケースはニュースになりにくいし、「当事者家族(例えばマヌエル・ラペーニャさん=息子さんやプリフィカシオンさん)がどんな活動してるか」を紹介しても、「なんか遠い国の特別な出来事かな」くらいにしか捉えられにくい空気ある。

あとね、手続き面や行政対応…つまり「発掘作業にどれだけ年月かかるの?」とか「なんで家族に前もってお知らせしないの?」みたいな部分は、日本の制度とは全然違うから、現地の事情をすごく丁寧に説明しないと「なんでそんなに時間かける必要あるの?」みたいに混乱する人多そう。「共同墓地から遺骨を取り戻す活動」という目的自体イメージ湧きづらいんだよなぁ…。単なる個人エピソードなの?海外の人権活動レポート?抑圧された少数派の証言集?教育教材にする価値あり?…見る側によって全然違った見方になる感じ。

一番困るところは翻訳かもしれなくてさ。「共同墓地移転」とか「司法制度への信頼できなさ」、「記憶回復プロセスが遅れることで被害者遺族がさらに傷つけられる仕組み」…こういう根本ワード自体、日本語で上手く自然に表現できなくて詰まっちゃう。「強制収容所体験者への公式謝罪訴訟以外で、市民社会から数十年越しに訴え続ける」ような動きが日本ではめったに無い分、なおさら伝わりづらくて、省略されたりぼやけちゃう危険性アリ。

全体的に考えると、「背景知識足りなくて興味持ちづらく→深掘りできず→薄ーい紹介だけで終わる」みたいになっちゃいやすい土壌なのかな…なんて思っちゃう。

遺骨返還運動と歴史の継承 - 言葉の壁を越えて

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