スマホ時代における本物のスピリチュアリティ体験とは?日常で意識の扉を開く気づきの重要性

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日常で意識の扉をちょっと開けたい人向け、すぐ試せるスピリチュアルな小ワザ集

  1. 今日から毎朝コーヒー飲む5分間はスマホを置いて、目・鼻・手でコーヒーの香りや温度を感じてみて。1日1回でOK。

    意識的に五感に集中すると、雑念が減るんだよね。7日後に朝の気分メモを見返して2回以上「落ち着いた」と書いてたら成功。

  2. 通勤や買い物移動中、3回だけ周りの空気や音、人の会話に耳を澄ませる時間を作ってみて。たった1分ずつで十分。

    日常の移動タイムでも“神聖さ”みたいな特別感を見つけられることが増える。3日後に「印象に残った出来事」が2つ以上あれば試す価値あり。

  3. 1週間に2回はスーパーの行列とか、待ち時間に自分の呼吸に集中する瞬間を作ろう。深呼吸3回だけでOKだよ。

    待つのが苦手な人でも、呼吸を意識するとイライラ減るし、心が落ち着く。週末に「待ち時間ストレスが軽かった日」が1日でもあれば変化アリ。

  4. 毎晩寝る前、今日感じた“小さな奇跡”や面白かったことを3個書き出してみる。スマホメモでも紙でもOK。

    自分軸を取り戻したいときは“良かったこと”の積み重ねが大事なんだ。4日後に「前より前向きに感じる」が2回以上あれば十分効果あり。

今この瞬間の光と気配を見逃さないで味わうには

最近考えてたんだけど、神聖さってたぶん、どこか特別な場所にあるもんじゃなくて、普通の朝とか、生活のすき間みたいなとこに落ちてる気がする。でも、正直みんな忙しくしててさ、あんまりそこに目がいかないというか。例えば火曜日の朝6時47分。キッチンの窓から入ってくる光がめっちゃ独特でさ、本当に蜂蜜をちょっと焦がしたみたいな金色?いや…なんかうまく言えないけど、それが4分くらいしか続かないやつで、太陽上がったらすぐ消える。

それでコーヒー淹れてて、まだ湯気も出てる。その湯気が小さい祈りみたいにふわっと上に昇って…なんだろ、「今これだけ」って感じになった瞬間になぜかスマホ手にとっちゃうんだよね。カウンター置きっぱなしだったやつ。寝起きで通知3件来てたし。それ見たらもう窓からの光は違う色になってて。一瞬で終わる。この温度、この角度、この色味、二度と同じ組み合わせにはならないやつ。

その感覚、多分5秒もなかったと思う。でも、自分でそっち選んじゃった。「神聖な時間」っていつから「また今度」に回されちゃったんだろう?こういうこと考えるとちょっと胸がギュッとなる。

思い出したけどさ、最近「意味探し」もゲーム化してきたなーと思う。アプリあるしさ。瞑想用とかマインドフルネス用もいっぱいあるし。「何呼吸完了」とか全部記録されてランキングできたりして、「頑張った自分」演出できる感じ?リトリート予約できたりセミナー申し込めたり、第3木曜にはクリスタル届いたり…そういう便利サービスも山ほどある。それにInstagram開くとリネン着た人がプール脇で何か悟りました的な顔して上げてたりするし。

結局「悟り」までチェックボックス化してるように感じない?「はいクリア」「自己成長ポイント貯まった!」みたいな。でもそれって本当に満足なのかな。

大事なのは、多分僕ら自身がスピリチュアルじゃないせいとかじゃなく、「超越」とか「神聖」とかを頭だけで追っちゃって、本当は身体でも感じきれなくなっちゃってるところだと思う。リトリート体験数増えたり、瞑想アプリの日数カウント伸びても、「引き寄せ」の儀式したとしても、それ外側整えて“意味”誰かにもらおうとしてる雰囲気あるよね。むしろパッタイを宅配頼むぐらい簡単になっちゃって……そんな感じ。

現代人が意味探しをアプリ化してしまった理由を考えよう

最近考えてたんだけどさ、本当に今、何が起きてるかって言うと、「ちゃんと生きてる感覚」みたいなものを、わざわざ手放して、「なんとなく居ますよ〜」って装っちゃってる人、多くない?スピリチュアル的なことも、もう全部“効率”とか“最適化”ってワードで塗りつぶされてない?正直、それやることで自分の「うまくできてないリスト」に神聖なものまで足しちゃう感じ…本末転倒じゃん、みたいな。

それだけじゃなくて、一番皮肉なのはさ、ネットで「人はみんな繋がってる!」とか叫ばれているこのご時世に限って、中身すっからかんというか…。ほんとはめちゃくちゃ寂しくて、「本当の何か」を求め続けて必死になっちゃう。それで変にマジになっちゃって、何か少しでも得られそうならサブスクにも普通に金払ったり。でも、その割にはアプリ自体が悪者扱いされやすいけどさ、本当に厄介なのはそこじゃなく。ああいうの、多分ぜんぶ“表面的な症状”なんだろうね。

思い出したけど、高いやつあるよね瞑想アプリ。200ドルとかするメディテーションアプリ、とりあえずインストールしたとしても…通勤の満員電車に勝つ気配ゼロだし!このウェルネス産業のビジネスモデルやばくない?「元々空気みたいにタダだった感覚」を課金制サービスとして堂々売っちゃったという…。挙げ句「あ、特別なログイン必要ですよ」「悟り=クレカ登録完了です!」みたいな雰囲気まで作られるし。

でも実際どうよ?一番当たり前の日常──例えば通勤途中とかこそ、“神聖”と思える瞬間あるんだよ。ポッドキャスト流して意識高めようと頑張ったとしても、お湯浴びながらふーっと息抜いた時とか、一歩外出た瞬間に顔についた空気が冷たかったり、人混みに紛れて知らない誰かが唐突に笑ったの見たり。それ全部、ご褒美タイムみたいなものでさ。お金ほぼ使わず味わえる。でも唯一支払う必要あるものと言えば「注意力」(アテンション)かなぁ。ただ、この令和社会ではその集中力こそ究極の贅沢品になっちまった。不思議すぎ。

あとね──コーヒーブレイク例に出すけど、「あー今日これで三杯目…メール返信しながら無意識で飲むだけ」とかなりがち。本当は一口飲むごと、「今ここだ」って感じたいハズなのに。こういう時ほど味忘れてゴクリだけ終わる!

現代人が意味探しをアプリ化してしまった理由を考えよう

心の充足感より“やっている感”を優先していないか自問する

本当に味がわかる瞬間って、なんだろう、やっぱり特別だなと思う。苦味がじわっと広がったあとに、あれ?ちょっとチョコみたいな甘さ?そのあと滑らかさ、で舌の上に温かさだけ残って……はーって湯気でちょっと前髪しけったりして、ああ、この「小さいこと」って実はでっかいんじゃないかなって急に思う。これ自体が何かの入り口みたいでさ。

ちゃんと「今」ここにいる感じ。なんなら次の予定とか仕事とか頭に浮かべてない、そのまま。ふっと全身の力抜けて、一回全部リセットされてる気分になるんだよね。脳の中で勝手にいろいろ解説したり心配したり計画したりするアレ - デフォルトモードネットワーク?それが静かになるっていうけど、それ本当で、その時、不思議と聖なる何かをつかんでる気分。冗談じゃなく。

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スーパーのレジで並ぶ時って、大体テンション低いよね。蛍光灯で変にまぶしいし、なんとなく人間っぽさ消されてる感じ。でもね、前のおばちゃん - 70歳くらいで紫のネイル塗ってる人 - その人カゴぱんぱんで並んでて、不意に目を合わせて話しかけてきた。「セルフレジ難しいね」とか「今日寒いよね」とか、本当にただの日常会話。でも、その目線から生き生きしてんだよな。

「あ、この人今この瞬間いるんだ」って分かった時、一緒になんでもないことで笑っちゃった。本当に笑いたくなるやつ。作り笑いじゃない、不意打ちのやつ。何だろうねアレ。予想もしてないタイミングですごい温度感出る。たぶん8秒くらいだけど、その間だけ全然誰も心配事も仮面もなくて、本当に2人とも「今」にしか存在しない時間だった気がする。

スマホ時代のスピリチュアリティと本物の繋がり方を試そう

最近考えてたんだけど、「ここ」にいるだけでさ、なんか…うまく言えないけど、めっちゃ大事な何かがポロッと出てくる瞬間ってあるんだよ。別にタイミングとか全然考えてないし、計画とかゼロ。ほら、いわゆる「この時間に瞑想しよう」とかそういうやつじゃなくてさ。スーパーの蛍光灯が最悪な感じでギラギラしてるときでも、不意打ちみたいにパカッて何か開く時あるじゃん。

あとね、## 🧑‍🍳 ## ミスについて思い出したんだけど - メールを完全に違う人に送っちゃったとかさ…。会議で絶対言っちゃダメなこと口走っちゃうとか、本気で「あー終わった」ってなるやつ。その場ですぐどうにもできないパターンね。そっから一気にパニック入る直前の、その隙間みたいなタイミングで、自分自身がめちゃくちゃリアルになる感覚あったりしない?超人間味しか感じなくなるというか。

なんか普段は世間用バージョン演じてる自分なのにさ。「ちゃんとしてます!」って顔した自分も消えるし。ただ本当に生の自分がバーンと表になる感じ。変な話だけど、それこそフィルターなし晒され状態で超ヤバい…なのになぜかその脆さ(?)というか丸裸具合って、ちょっと神聖だったりする。不思議じゃない?ガチ無防備モード突入して初めて、「あ、生きてんな」って深いところまで触れられる気がする。

ビジョンクエストとかほんと要らないから、とりあえず土曜日だけ返してほしいんだよね…。

高額な瞑想アプリではなく日常移動時間に神聖さを発見するコツ

なんかさ、最近ずっと考えてるけど…どうしてあのタイミングで気づけなかったんだろうって。でも実は理由めっちゃシンプル。無いわけじゃなくて、ただ毎日がぐるぐる追われて止まれない感覚?息つく間もないっていうか、立ち止まったら何かに置いてかれそうで。正直止まる余裕とかどこにも落ちてない。

ピンポーン、とか変な音が鳴ったりスマホ光ったり。メール増えすぎて数える気も起きないし、「やらなきゃ」みたいなのが一個終わる前に三つ増える。あれ、なんで消化できないペースで来んの…意味不明。「忙しい=価値ある人」って頭のどこかが思いたがってる節、マジで否定できない。

しかもね、「このままだと消えてしまいそう」っていうヘンな恐怖感までセットになってきちゃうから、本当に頑張り過ぎちゃう。本能的というかさ。でもこれ、多分昔からのクセ?ほら原始時代だったら本当にトラとか危険避けて生き延びようとしてたやつ。その名残で常に身構えて先回りしたくなる遺伝子スイッチONみたいな。

それが今ではトラ→通知(笑)。通知だけど怖いよね?ガチで心臓ドキドキするし、無視とか絶対できない空気ある。不思議なくらい…なんか消した瞬間何か悪いこと起きそう、とまで思っちゃう自分いてさ。もうここまでくると普通に笑えん。

そういや資本主義もしっぽ振って混ざってくるじゃん。落ち着く隙間全然与えず、不安煽りつつ注意を引っぱり続けて。「今」より未来の「何か足りない自分」と戦わせようとしてくる広告もSNSもアプリ通知も全部…。ほんと手口細かすぎ。

スマホは最強レベルの現実逃避グッズだと思う。他にも言いたいこと山ほど出てくる。でも、一番ヤバイところは「ここじゃない場所」にいつでもワープできちゃう扉持たされてんだよね。

でもね、一瞬立ち止まった時――深呼吸してその場に留まった瞬間、不意に景色変わる感じある。不思議だけど本当。ずっと「走んなきゃ!」みたいな焦燥感から抜け出せば、その場そのものと自分自身との距離縮む気がする。それだけでも十分違うんだよなぁ…

一杯のコーヒーで感じる意識の扉と神聖な体験を味わおう

人生って、なんか突然ドラマみたいに大きく変わるものじゃないんだよね。あの、映画で主人公がパッと覚醒するみたいな…そんな劇的なのは現実ではまず起こらないし、いきなり神様に会うとか、人生の全部の意味が電流みたいに一瞬で分かるとかもさ、まあ無いわけ。でもさ、不思議と「確かな安堵感」みたいなのは感じたりする。それも本当に、ごまかしようがなくて…自分でも「あーなんだこれ…」って素直になれるやつ。何年も息を止めてた? それでやっと息吐けたような? 肩から何か落ちるくらい。一気に体がゆるむというか、「自分ずっと必死こいて我慢してたんだなー火曜日とか特にな」と急に気づいたり。

そのタイミングでさ、その呼吸の隙間というか…ため息混じりのゆるさ。その中になぜか「聖なるもの」がふわっと入ってくることあるんだよ。不思議だけど別に「良いことしたから褒美!」とかじゃなくて、本当にただ立ち止まった時、「あれ、最初からここに居たじゃんコレ」って急によく見えたり。

Small Rebellions Against the Ordinary (That Aren't Actually Ordinary at All) 🚪 なんだけど、それどうすればいいと思う?いや、「仕事ぶっちゃけ辞めて山ごもろうぜ」とか言いたいわけでも全然なくて、新しいアプリ入れろ〜! 習慣化ガチャ回せ! とも言いたくない。「またダメだった……」みたいになる必要なんてない!

だから今、小さい小さい「招待状」を3つ送るよ。本当ささいな反抗。日々使っている魔法(ルーチン)への小さなクラックになるクサビ。そういう感じ。

まず1個目 ➡️ 「ワンブレス・ルール」。リアクションする前、とりあえず深呼吸一発だけ挟もう。スマホ見る前でもいいし、「木曜いっぱい詰め込まれてんなぁ」「OKです!」と言う直前にも。ただ一度意識して息を吸って吐くだけ。瞑想とか修行じゃなく、それだけ。

一杯のコーヒーで感じる意識の扉と神聖な体験を味わおう

スーパーの行列や小さな交流から生まれる特別な瞬間を掴もう

息してるとき…なんだろ、ほんとに今この瞬間、自分が呼吸してるって、ちゃんと気づくの意外とないよね。空気、体に入ってきてまた出てくのとか、なんか、すごくリアルに感じる瞬間。考えてるだけじゃなくて、「あ、自分ここで息してるんだ」って実感する感じ?そういう時たまにある。

一回だけでもいいから、ほんとにやってみてほしい。マジで違うから。自律神経とか、たぶんだけど…走りっぱなしの時と一瞬止まった時の差をめちゃくちゃ感じてるし。体も「今ここにいる」って分かるみたいで、逆にぼーっとして何にも意識向いてない時も…なんかわかっちゃうっぽい。

ディリバレット・ポーズ…これさ、毎日やってること何でも一個選んでいいから試してみてほしい。シャワーでもいいし、朝コーヒー飲む時とか、車まで歩いてる間とかさ…なんなら椅子座った瞬間でも全然アリ。

その行動をちょっとした“特別な時間”みたいなものに自分で格上げするだけ。ただ意識だけ。それ以外ほんと何もいらなくて、お香とかオシャレな道具とかゼロでOK。その場面、その瞬間、自分で100%そこにいる!みたいな。別に気張らなくていいんだけど。

水が肌触る感じ、とことん感じてみるのも面白いし…コーヒーなら全部の味覚使うぐらい集中できるかもだし。地面踏む足の感覚もさ、小さいけどちゃんと変化あると思う。「瞑想できません」とか全然心配無用。それマジで関係ないし。知識もテクも無しで十分。本当に日常の「ひとつだけ」に全部参加する。それだけでも結構…いや思ったより大事な時間になるんじゃないかなって思うよ。

失敗や素の自分になれる時こそ隠れた神聖さを認めてみよう

最近考えてたんだけど、別に人生のシーンをSNS用に切り取らなくていいよね。もっとさ、自分の中だけで、その瞬間をメモるみたいな感じ?詩ってわけじゃないけど、心の動きをそのまま書くとか。それが正解だと思うんだよ。例えば今日の空がやたら青かった、とかさ。誰かと目が合った時のあっという間の顔。その曲流れてきて…あれ?なんか胸が静かに騒いだなあとか。匂いだったり味だったり、なんかわけわからない思いつきも全部、その瞬間しか捕まえられない気がして。一行でもメモすればいいし、べつに何も残さなくても全然問題ない。本当に感じていることってネット向けと違うじゃん。

それで、「人生=コンテンツ」じゃなくした途端なんだけど、不思議と今まで見落としてきたものが急に現れるような…。ちゃんと「ここ」にいるって実感できる感じになるんだよね。充たされた…いや違う、満ち足りるってこんなのかなとか思ったりする。本当に、小さく呼吸してる神聖さみたいなのも見逃さずに済む。

あと、この前ちらっと読んで印象的だった「ラディカル・アクト・オブ・ノーティシング」──ただ『気づく』そのものについて……知ってる?これ案外やろうと思えば今日からできちゃう。「もっと落ち着いた時やろ」と後回しせずに、一分くらいやってみれば、お金かかったリトリートとか遠い場所行く必要ないかもって本当に実感した。不思議と日常にも『神聖』は普通に転がってたりするからバリ島限定とかもうそんな発想いらないな~と思った。

失敗や素の自分になれる時こそ隠れた神聖さを認めてみよう

呼吸・行動・観察で誰でもすぐ始められる気づきのリセット術

最近考えてたんだけど、意味って無理やり探そうとするとさ、すごい変な気分になる時ある。火曜日の朝とかシャワー浴びてる時に、「あれ?もう意味探すの疲れた」みたいな感じで、ふっと何も考えなくなる瞬間が来たりするんだよね。意味なんて落っこちてないし、自分でじーっと観察して「これかな…?」みたいに後から気づくものじゃない?なんか、注意深く見つめれば見つめるほど、それらしい答え作っちゃうし。だから、「ただ見る」だけの方がホッとすることも多い。

結婚生活とかもさ、いきなり完璧になんて絶対ならないよ。いやむしろ全然。それなのに不意打ちでパートナーの手を見て「あれ、この指だったっけ?」って思ったりして、別に特別でもないただの手なのに変な実感わいて笑える時ある。「このままで大丈夫か」みたいな小さい違和感が普通の日にも混ざってるというか。

あとね仕事も急には好きにならないんだよ。正直「またこれか…」ってなる日だってめちゃくちゃある。でも午後デスク横切る光が「うわー今日こんな感じだった?」みたいに妙によそ行き顔になる一瞬もあったり。不思議だよね。惰性と新鮮さが混在してる。

人生全体が映画みたいにドーン!とは絶対動かない。本当に。ただ……不思議と少しずつ自分本来の形になっていくような、そんな違和感は消えずについてくる。他人じゃなくてちゃんと自分として。

もっと面白いのは――これは忘れないでほしい――いつも次を追い掛け回してばっかな癖、そのスイッチをオフした途端、「今」の空気がお腹いっぱい入ってきたようになるんだよ。不思議だけど、「今しか無理」状態の日常になるというか。「練習した成果です!」とか全然じゃなくて、不意打ちで勝手にそうなる。

タスク管理アプリには相変わらずToDo増えるしメール爆撃され続けるし世界ゴチャゴチャ騒音ひどい。でも逃げ出す必要までは感じなくなる。その場所、その時間、本当に居る。それだけ。でも急に視界広がった気にもなる。同じ机・同じ道でもさ、不思議とうっすら新しい景色になったりして……なんなんだろうねこれ。

まぁ現実には世界なんぞビタイチ静寂にも癒しモードにもならないから安心して(笑)。君自身という中身、その根元だけぽこっと違う風になる。本当にそれだけなのになぜこんな重力反転起きる?

あと最後いい?君にも聞いてみたい。ここ最近味わった超平凡すぎシーン何だった?SNS載せても誰も興味示さないやつ。一番しょうもなくて、一番ただの日常。それ知りたい。「インスタ映えました!」じゃなく、本当ーーーになんでもない瞬間どう過ごした?

日々にある小さな奇跡を守り、他者とシェアして自分軸を取り戻そう

本物ってなんだろう、ってふと考えることあるよね。あの、時計とか完全に忘れてて、ただ「今」だけ生きてる、あの瞬間。たまにあるでしょ?自分だけかな?気が向いたらコメントで教えてくれるとめっちゃ嬉しい。

「神聖」とかさ、大げさな特別感じゃないんだよね。ぶっちゃけ僕は、人間の「注意してる時間」のほうがずっと価値あると思ってる。

例えば…その瞬間をちゃんと名前つけて呼んでみたら、「これ大事かも」って思えたりするんじゃないかな。そういう時間を意識して選んだら、生き方もだいぶ変わりそう。結局、「大切なもの」って意外と日常の中に埋もれてるだけなんだよね。

忙しいから無理~ってやつ、そろそろやめよう。実際は止まるのが怖いだけだったりする。一歩だけ踏み出せば意外と見えてくるもの、必ずある。本気で何か感じたいならさ、とりあえず今日、一回だけでも「今ここ」選んでみない?スマホ置いてさ、未来の予定も一旦全部忘れて。ただ、自分と目の前のこの時間。それ終わったあと、もし何か気づいたことあれば教えてほしいな。

そこから何か、自分発信の新しい流れが生まれるかもしれないし。💪😂💫🧬🫶🖤🫶🧬💫😂💪 いやほんと、それが革命の始まりになる予感するから。

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