最近、資本主義ってなんだかんだ「美しい嘘」なんじゃないかって、よく考えてるんだよね。いや、別に反体制とか、そういう大げさな話じゃなくてさ。僕たちが毎日当たり前だと思ってるこの世界のルール、そのものについて。なんだか、ちょっと違和感ない?
だって、現実って一つしかないはずなのに、人によって見え方が全然違う。ある人は「知らない方が幸せ」って言って、目の前の小さな幸せを大切にしてる。それも一つの生き方だと思う。でも、一方で「なんでこうなってるんだろう?」って、世界の仕組みとか人生の意味とか、そういうのを考えずにはいられない人たちもいる。僕も、どっちかというと後者のタイプかな。
年を取るにつれて、僕らが生まれるずっと前からあるルールやシステムに慣れきっちゃって、それを疑うことすら忘れちゃう。でも、本当のことにもう少し近づきたいなら、一度全部疑ってみる必要があるんじゃないかなって思うんだ。
そもそも、なんでこんなに不公平なんだっけ?
僕がずっと疑問に思ってて、正直、欠陥だらけだと感じてるシステムの一つが、この資本主義。子供の頃から、ずっと頭の中にクエスチョンマークが浮かんでた。
なんで、ほんの一握りの人たちが、何百万人分もの富を全部持ってるんだろう?
なんで、人間って平等に生まれてこないんだろう? 生まれた瞬間から貧しい家庭と、有り余るほどの富がある家庭があるのは、どうして?
ていうか、現代に「相続」ってまだあるのおかしくない? 世代間の不平等を固定するような、そんな原始的な仕組み、もうとっくに卒業しててもいいはずなのに。
貧しさのせいで、どれだけの天才が埋もれてしまったんだろうって考えると、ゾッとする。ちゃんとした機会さえあれば、世界を変えられたかもしれない人が、山ほどいたはずなんだ。
で、マルクスを読んでみたら…答えが書いてあった
そういうモヤモヤを抱えてた時に、たまたまカール・マルクスの本に出会ったんだ。で、読んでみたら、もうね、頭をガツンと殴られたような衝撃だった。僕がずっと頭の中でグルグル考えてた疑問とか怒りみたいなものを、誰かがものすごい明晰さで、しかも学問的な深みを持って、全部言葉にしてくれてたから。
時代を超えても変わらない考えってあるんだな、って思った。それは、現実に根差してるからなんだろうね。一部の人はそれが見えてる。他の人は見てないか、あるいは…見ないようにしてるのか。
マルクスは、原始共産制みたいな大昔の社会から、資本主義の下での労働者の搾取、そして古代から続く階級闘争の歴史を、めちゃくちゃ分かりやすく説明してくれてる。ブルジョアジー(資本家階級)とプロレタリアート(労働者階級)の対立とか。この階級の分断って、実は今もそのままで、むしろ社会が「搾取する側」と「搾取される側」っていう二つの敵対的な陣営にどんどん分かれて、もっと鋭くなってる気さえする。
「君は自由だ」っていう、一番タチの悪い幻想
歴史を振り返れば、革命で支配階級が倒されて、また新しい支配階級が生まれて…の繰り返し。でも、階級間の根本的な対立はずっと消えなかった。で、資本家たちは歴史から学んだんだよね。「あからさまに抑圧したら、反乱が起きる」って。
じゃあ、どうやって支配を維持してるのか?
それは、僕たちに「自分たちは自由だ」と信じ込ませることによって。
最低限の生活は保証して、その上で甘くて、でも中身は空っぽな夢を売るんだ。
「一生懸命働けば、君も金持ちになれる」
正直、笑っちゃうよね。現実には、めちゃくちゃ頑張って働いた人のほとんどは、運が良くても60歳くらいでやっと家のローンを払い終えるのが関の山。住む場所って人間の基本的なニーズのはずなのに、それを手に入れるために一生働き続けるのが「普通」だって、僕たちは洗脳されてる。
この感覚、アメリカの「ハッスルカルチャー」もそうだけど、日本の「社畜」文化にも通じるものがある。働きすぎて心身を壊す「過労死」なんて言葉があるのは、世界的に見てもかなり異常。厚生労働省のデータを見ても、精神障害の労災請求件数って全然減ってないし。これも、システムが生み出す歪みの一つなんだと思う。
倫理とか道徳とか、全部捨てちゃった世界
資本主義って、倫理とか道徳を窓から投げ捨てちゃったんだよ。人間の本性として「欲」を肯定して、利益を何よりも優先する。まあ、確かに強欲も人間の一部かもしれない。でも、暴力だって人間の一部だけど、僕たちはそれを抑えるために法律を作るでしょ? なのに、なんで欲だけは野放しなんだろう? そう考えると、資本主義の土台って、根本的に欠陥があるんじゃないか。
資本主義は、自分のことだけ考えろって教えてくる。でも、人間が動物と違うのは、抽象的な思考ができること、つまり「自分を超えて」考える能力があることじゃない?
地球の資源は有限。一握りの人が贅沢品や富をため込むことが、そのまま多くの人の貧困に直結するって、ちょっと想像すれば分かることだよね。
マルクスも言ってる。
「一方の極における富の蓄積は、同時にもう一方の極における悲惨、労働の苦悶、奴隷状態、無知、野蛮、精神的堕落の蓄積である」
これ、150年以上前の言葉だけど、今の時代にこそ、すごく響く。
全部が「お金」に換算される悲しさ
マルクスの批判は、経済だけにとどまらなかった。資本主義が、かつて尊敬されていた職業の価値をいかに引き下げたかについても、厳しく指摘してる。
「ブルジョアジーは、これまで尊敬され、畏敬の念をもって見られてきたすべての職業から、その後光を奪い取った。医者を、法律家を、僧侶を、詩人を、科学者を、自分たちが金を払って雇う賃金労働者に変えてしまったのだ」
医者とか弁護士とか、昔は尊敬されてた職業も、今やただの「稼げる仕事」ランキングの一つでしょ? もっとひどいのは、人間の尊厳まで奪って、人間関係を含むすべてを「取引」に変えちゃったこと。家族っていう概念も、資本主義社会ではどんどん希薄になってる。
「ブルジョアジーは、家族からその感傷的なヴェールを剥ぎ取り、家族関係を単なる金銭関係に変えてしまった」
正直、マルクスの言葉が、書かれた当時よりも今の時代に当てはまってることに驚く。トマ・ピケティが『21世紀の資本』でデータを使って証明したみたいに、富の集中は加速する一方で、この傾向は変わってない。
資本主義と社会主義、どっちの夢を見る?
じゃあ、この「美しい嘘」である資本主義と、それとは違うビジョンを提示する社会主義。一体何が違うのか、僕なりにまとめてみた。まあ、すごい単純化してるけど、イメージはこんな感じ。
| 項目 | 資本主義(のキラキラした表側) | 社会主義(の目指すところ) |
|---|---|---|
| 主役 | 100万人に1人の億万長者、スター選手、キラキラしてるインフルエンサー。とにかく「勝者」。 | 医者、先生、科学者…つまり、社会をちゃんと機能させてる普通の人々。隣に住んでる人。 |
| 夢・目標 | 勝者になること!高級車に乗ってタワマンに住むこと。とにかく人と違う特別な存在になること。 | みんながまともな生活を送ること。明日の心配をせず、安心して暮らせること。特別じゃなくていい。 |
| 根底の思想 | 「欲は善だ!競争こそがすべて!」っていう感じ。自己責任って言葉も大好きだよね。 | 「みんなで助け合った方が良くない?」っていう発想。公平とか、平等を大事にする。 |
| 結果(理想と現実) | ごく一部が超リッチに。ほとんどの人は、その夢を追いかけさせられて、ただ疲弊してるだけかも。 | キラキラ感はないかもだけど、より多くの人が夜ぐっすり眠れる社会になる…かもしれない。 |
社会主義って聞くと、なんか古臭いとか、失敗したシステムってイメージがあるかもしれない。でも、その根っこにある考え方は、実はすごく力強いんだ。
それは、強欲さじゃなくて、公平さに基づいた公正な社会を作ろうっていうアイデア。
住居、教育、医療、そして機会の平等。そういう普遍的な権利をみんなに提供する。スポットライトが当たるのは、一部のセレブじゃなくて、社会に本当に貢献してる医者や先生、科学者たち。
資本主義は、個人の才能が莫大な富を生むんだって思わせたい。もしそれが本当なら、別に社会なんていらないよね。一人で無人島に行って、自分で帝国を築けばいい。でも、そんなこと不可能でしょ?
結局、資本主義の考え方って、事実に基づいているというより、感情に訴えかけてるんだよ。でも、社会は一人じゃ成り立たない。一人ひとりがピースになって初めて完成するパズルみたいなものなんだ。
じゃあ、どうすればいいんだろう?
僕たちが生きてるこのシステムは、必然じゃない。自然にできたものじゃない。誰かが作ったものなら、変えることだってできるはずだ。
資本主義を疑うことは、成功を憎むこととは違う。それは、誰かの成功が、他の数えきれないほどの人の苦しみの上に成り立つべきじゃないって認識することだと思う。
じゃあ、具体的にどうすればいいのか?…それは、僕もまだ考え続けてる。すぐに答えが出るような簡単な話じゃないからね。岸田政権が言う「新しい資本主義」も、結局は分配より成長を優先してるように見えるし、本質的な解決策にはなってない気がする。もしかしたら、ベーシックインカムみたいな考え方が一つのヒントになるのかもしれない。
でも、一番大事な第一歩は、まずこの「美しい嘘」に気づくこと。そして、疑問を持つことなんじゃないかな。
あなたはどう思いますか? この「美しい嘘」、うまく乗りこなし続けるべきだと思いますか? それとも、そろそろ目を覚まして、違う夢を見る時だと思いますか? よかったら、あなたの考えも聞かせてください。
