古代ローマと動物。ちょっと考えてたこと。
最近、古代ローマについて読んでたんだけど…。なんだか、すごい違和感があった。法律とか建築とか、そういう「すごいローマ帝国」のイメージの裏側。特に、動物との関わり方が、思った以上に…うん、複雑で、気味が悪い。
獣姦は法律でダメってことになってる。でも、神聖な儀式とか、公開処刑とか、そういう場面に普通に動物が出てくる。この矛盾が、ずっと頭に引っかかってる。
TL;DR
要するに、古代ローマでは動物は単なる家畜じゃなくて、儀式、娯楽、処罰の道具だった。法律と現実の間に、すごい溝がある。特にエリート層の偽善がひどい。
具体的に、どんな儀式や法律があったのか
いくつか、特に印象に残った事例をメモしておく。
豊穣の祭り、[ルペルカリア祭 (Lupercalia Festival)]
まず、これ。[ルペルカリア祭]。2月中旬の、豊穣を願うお祭り。若い男たちが「ルペルキ」って呼ばれて…ヤギとか犬を生贄にする。ここまでは、まあ、古代の儀式ならありそう。
でも、その皮で女性を鞭打つんだよね。妊娠しやすくなるようにって。正直、この時点でもうキツい。プルタルコスみたいな歴史家は、生贄にする前に動物と性的な行為があった、なんてことまで書いてる。まあ、キリスト教の作家、例えばアウグスティヌスあたりが、異教を叩くために話を盛った可能性もあるけど…。
真偽はともかく、神聖な儀式の中に「禁じられた行為」が混じってる。この感覚が、ローマ的というか…。
そういえば、日本の古い神話、例えば[古事記]とかに出てくる動物との関わり方とは全然違う気がする。あっちの神様は動物に姿を変えたりするけど、それはもっと自然への畏敬というか…。神社にいる[神馬 (shinme)]みたいに、神聖な存在として扱われることが多い。ローマのこの、なんというか…制度化された暴力性みたいなのは、独特だね。どこからこの違いが来るんだろう。
法律はあったけど…意味あったの? [スカンティニア法 (Lex Scantinia)]
紀元前149年頃に、[スカンティニア法]っていう法律ができた。一応、獣姦も取り締まりの対象だったらしい。でも、この時代の法律ってだいたいそうだけど、権力者のためのもの。庶民や奴隷は厳しく罰せられたかもしれないけど、エリート層はやりたい放題。
皇帝[エラガバルス]とか、その典型。動物を巻き込んだ乱交パーティーを計画してたって話もある。もちろん、これも政敵によるネガティブキャンペーンかもしれないけど、そういう噂が立つこと自体が、社会の雰囲気を示してる。
結局、法律はあっても、金と権力があれば関係なかったってことなんだろうな。
見せしめのための「性」
一番、精神的にくるのがこれ。「[ダムナティオ・アド・ベスティアス (damnatio ad bestias)]」。猛獣刑、って訳されるかな。
罪を犯した女性が、円形闘技場で…観衆の目の前で、動物に犯される、っていう処刑方法。これは単なる処刑じゃない。徹底的に尊厳を破壊して、見せしめにするためのもの。国家の権力と価値観を、人々の脳裏に焼き付けるためのショー。
被害者の多くは、政治犯とか、反逆者とか、まあ、体制にとって都合の悪い人たち。闘技場って、娯楽の場であると同時に、恐怖で民衆を支配するための装置でもあったんだな、と。
神話と現実の境界線
神話の世界では、神が動物に変身して女性に近づく話はたくさんある。ユピテル(ゼウス)が牛になったり、白鳥になったり。
こういう話って、ただの象徴的な物語だと思うじゃない? でも、ローマでは、神話が現実の言い訳みたいに使われていた節がある。
例えば、豊穣の神[プリアプス]は、ヤギと一緒に描かれることが多い。ヤギが旺盛な性欲の象徴だから。田舎の方では、豊作を祈って、動物と象徴的な性交の儀式があった、なんて話も残ってる。
これが本当にあったことなのか、それともキリスト教徒が異教を貶めるために創作した話なのか…今となっては分からない。でも、こういう「ありえたかもしれない」と思わせる土壌があったことだけは、確かだと思う。
ローマ社会における動物との関わり方、いろいろ
ここで一度、どういう文脈で動物が性的な意味合いを持ってたのか、整理してみる。
| 文脈 | 目的とか意味合い | 個人的な感想 |
|---|---|---|
| 宗教儀式 ([ルペルカリア祭]) | 豊穣祈願。生産性を高めるため。神聖さとタブーがごちゃ混ぜになってる感じ。 | 正直、理解不能。神聖なものとされているのが一番怖い。 |
| 公的処罰 ([ダムナティオ・アド・ベスティアス]) | 見せしめ。権力の誇示。人間の尊厳を徹底的に破壊することが目的。 | これはもう、ただの暴力。一番エグい使い方だと思う。 |
| 富裕層の娯楽 | 退廃的なエンタメ。サテュリコンに出てくるロバと踊る女性とか。エリート層の道徳の欠如の象徴。 | まあ、金持ちの考えることは昔も今も…って感じかな。度が過ぎてるけど。 |
| 神話・象徴 ([プリアプス]神とヤギ) | 性的なエネルギーや豊かさのシンボル。神々の行為を人間が真似る、みたいな。 | これはまだ分かる。あくまで象徴としてなら、ね。でも境界が曖昧。 |
| 民間信仰・迷信 | 媚薬とか精力剤として。動物の一部に特別な力があると信じられてた。[大プリニウス]の『博物誌』とかに書いてある。 | 動物のエネルギーを自分に移す、という発想。これも分からなくはない。でもちょっとグロい。 |
反例と誤解の明確化
よくある誤解だけど、全てのローマ人がこんな感じだったわけじゃない、ってことは言っておきたい。
まず、[スカンティニア法]が示すように、公式には獣姦は犯罪だった。問題は、その法律が誰に適用されたか、ってこと。
それから、キリスト教の台頭後に書かれた記録は、かなりバイアスがかかっている可能性が高い。教父アウグスティヌスとかは、ローマの異教文化を「堕落している」と批判するために、最もショッキングな事例を強調して書いたはず。だから、彼らの記述を100%鵜呑みにするのは危険。
重要なのは、これらの行為が「あった/なかった」という事実そのものよりも、「そういう話がまことしやかに語られ、記録として残り、議論の的になった」という社会のあり方の方だと思う。タブーでありながら、常に人々の意識のどこかにあった、そういう存在だったんだろう。
まとめ、というか今の気持ち
結局、古代ローマ人にとって動物ってなんだったんだろう。力、支配、信仰、そしてタブーを破るための道具…いろんな顔を持っていた。
ある場面では崇拝され、ある場面では辱めの道具になる。現代の感覚からすると、本当にめちゃくちゃに見える。でも、彼らの世界では、それが法や神話、そして身分制度の中で、奇妙なバランスを保って存在していたんだろうな。
…許容されることと、そうでないことの境界線って、時代や文化によって、こんなにも変わるものなんだな。じゃあ、今の僕たちの「当たり前」は、1000年後、どう見られてるんだろう? そんなことを、ふと考えた。
ちょっと考えてみませんか?
この記事を読んで、あなたが一番「現代の価値観と違う」と感じたのは、ローマのどの習慣でしたか? 理由と一緒にコメントで教えてください。
